Sally式!50歳から人生を楽しむ方法

ある意味終活を楽しむ方法と言えるかも

やりたいことがわからないのは

私の今の問題はこれ。

 

 

やりたいことがわからない。

 

 

何故こうなったか分析してみた。

 

 

結果。

 

 

依存性が強い。

 

 

これだと思った。

 

 

人のやりたいことに便乗してきた結果、自分のやりたいことを認識する力が衰えてしまったのでないだろうか。

 

 

今までを振り返ると、友達がやりたいことに便乗していた。仲良くなった子がやりたいことを一緒にやってた。

 

 

特に20歳を過ぎてとても仲良くなった友達は、提案するのが好き。私は目標を達成するのが好き。ということでドンピシャリはまり。特に海外旅行が好きな子だったので、しょっ中暇があれば海外旅行に行ってた。これは私も良い経験になったから良かったのだけど。

 

 

問題は、自分がやりたいからでなく人のやりたいことに乗っかってただけってこと。こんな楽な事はない。だから癖になったのだと思う。

 

 

仕事もその時色んな提案を考える人に合わせてやってきたように思う。だから野望ある人はそんな私を見抜いて利用してくれた。正にギブアンドテイク。

 

 

ずっと依存してた。

 

 

楽だったけど、苦しかった。どんどんなんか違うってなっていったのかな?私がやりたいことは何だろうって思いだすと、その人達とは縁が切れたり離れたりしていった。

 

 

50歳になった今、私は何がしたいのだろう?とわからなくて何故わからないのだろうかと凄く悩んでいる。

 

依存するというのは自分後回しにに生きているから。

 

いざ自分が何かしようと思うと、いや待てお前はダメだろう。自分のやりたいことなんて考えちゃうダメだ。という思考が出てくる。

 

 

私よりも。

 

他の誰かがやりたいことをやらないと。

母親が望んでいることは何か。

姉が望んでいること何か。

妹が望んでいることは何か。

この友達が望んでいることは何か。

この人が望んでいることは何か。

 

 

そこが起点になってしまっているので、本当に自分が望んでいることが隠されてしまって出でこない。長年やっていたので、このリハビリは大変だろう。

 

 

人は人。

自分は自分。

まず自分を優先的に考える。

 

 

こんな、とても簡単な事からやっていかないといけない。こんな簡単な事が出来ないほどそれほど私は何かに依存していたのだ。

 

 

自分の人生を生きる。

 

 

この考えに辿り着くまでにこんなに時間がかかってしまった。

 

でもね。

 

 

人生、無駄な事は1つもない。

 

 

私の今世にはこの経験が必要だったのよ。嘆いてる時間がもったいないからどんどんリハビリしないと。

 

 

今、私は何をしたいのか。

 

今、私は本当は何を望んでいるのか。

 

 

コーヒーを飲みたいのか、お茶を飲みたいのか。こんなレベルの話。こんなことさえも出来てなかった。

 

 

今引きこもりになってるから、接触する人も少ないので自分が望むことをやればいいのだ。なのに家族はどうしたいのか?が念頭に来てしまう。ダメダメな私。それを少しずつリハビリ。

 

 

私はピザが食べたいと思ってるのに、家族に何が食べたいか聞いてしまったりね。聞かずに自分が食べたい物作ればいいのだ。

 

 

遊びに行きたいなら行けばいいのだ。

 

 

誰かに便乗しないで、自分の責任で行動するんだ。

 

 

あ、依存するのは責任をなすりつけられるからか。

 

 

思うようにいかなければ、その人のせいに出来るから。私は自分の人生の責任を放棄していたのか。そうなんだ。食べたい物を選ぶ、という小さな選択さえも放棄していたのだ。

 

 

自分のやりたいことをやるというのは、自分の人生に責任を持つということ。

 

 

その覚悟が出来ないと、そりゃ出来ないわなあ。でも今、その覚悟がいると気付いてそうしようとしてる自分がいる。

 

 

まだ間に合う。大丈夫。私は変われる。私は私の人生を生きる。

 

 

私は私の人生を生きる。

 

 

 

さてさて、小さい事から始めよう。続ける事でいつのまにか変わっていくだろう。私は私のやりたいことをやる!そして自分の責任で全てを受け入れる。

 

 

そうしてこれから私は楽しく自分の人生を生きていくのだ。